あなたの魂が求めている経験

自由自在に生きる・気持ち良く生きる・楽しく生きる・永遠に生きる

聖おにいさん・ブッダ(お釈迦様)・イエスキリスト・ミラレパ・シュリ・ラーマクリシュナ

本当の自分を知るということは、神仏の心を知ることである
あなたの心は神仏と同じ身体は光である事を思い出す旅
神の心から生まれ神の心に帰る旅


宇宙意識は全ての真理と全の知識とを苞合所有し自己自身の内に新しい顕現をみのらせるためにと
芽生える時のくることをひたすら待っている未発の諸法則を含んでいるのです。
作物が実れば種をまいた者の所有なる様に宇宙意識の新しい顕現が充分に実現すると
その顕現が完成されてそれをあらわせた者の所に帰って来るのです。

オーム(聖音)
物質の世界、こころの世界、あまねく天界に
すべてに満ち満ちるすべてなる存在に身を任せ受け入れます
すべてなるものの真理とその大いなる光に繋がり
その光がわれわれに降り注がれ
究極の真理、本当の自分に目覚めることができますように

神よ、光の仲間達を見守って下さい。
光の仲間達がどんな困難も学びの中でのりこえて行けるように導かれるよう
何時までもずっと学びの中で幸せな思いを感じて過ごせるように
生まれて来れたこの喜びと果てしない感謝うたい捧げます
光りの空と時の中であなたと私は愛し会ってる

今ここに誓うのは優しさと永久の愛

動画サムネイル
ou Raise Me Up [日本語訳付き]
MARTIN HURKENS - YouTube

私達、光の魂は破滅が差し迫るほど悪化した時、銀河中に呼び出されました。
しかし一度も降りた経験の無い私達は不調和のドロドロとした重たさがどんなものなのか全く見当がついていませんでした。
私たちはそんな領域に出かけたこともなかったからです。
また私たちには、どうして胸が張り裂けそうなほどつらいのかについても、まったくわかりませんでした。
そして転生を繰り返すたびに闇の深みのより深くへと…闇のどん底に至るまでますます深くへと飛びこんでいったため
私たちは私たちの本当の性質を忘れてしまいました。いたましくも道に迷う者たちもいました。
いくらかの魂の光は弱まり、途絶え、それが多くの者たちを絶望に追いやりました。
けれども、そうでない者たちは自分の光を固守しました。

自分の光を固守した光の子供達はこの世で直接的な関与を通して不調和のドロドロとした重たさを自分中に動かさせて
それを愛へと変容させてきました。その直接的な関与を通してあなた方、皆が必要とするものはすべて愛であるという実感が高まりました。
その経験を通して今、あなたが自分という者を思い出すプロセスを経験しています。
貴方に本当の自分を思い出させる導き手である光の救世主と光の仲間に出会う時期を迎えています。
地球に来た光の存在たちのために。私たちは、決してあなた方を置き去りにしないと約束しました。
そのために私たちは、あなた方がそれを内側から変えるために自らをドロドロとした重たさの中に浸すべく闇の深みへと飛びこんだため
あなたがご自分の内側で愛のスパークを生きたままにさせ続けるようにアシストをするためにその輝きを保ってきました。
それがそれを変容させるための…人類を目覚めさせるための…唯一の方法だったからです。
あなた方には、「貴方は恐れではなく愛を体現しているのだから闇はもはやあなたに対して何の支配力もない」ということがわかるようになってきています。恐れがやってきても、ご自分がもはやそれに反応していないことに…恐れが以前のようにあなたにひっかかって、あなたを沈めることなどできないということに…あなたは今になっても気づいていませんか? 
恐れを観察していれば…そしてそれがリアルなものではないということがわかれば…恐れはあなたとつながることができるところなどどこにもない霧のようなものでしかありえません。あなたには愛を選ぶか,恐れを選ぶかの選択権があります。
けれども愛・光があなたの内側で飛躍的に高まっていれば、恐れには取りつく島がどこにもなくなるのです。
こうなるままにさせてください。内側で成長してください。ご自分自身に尋ねてみてください。
「私はまさに今、OKかな?」と…。
そうして、あなたがご自分自身に今という瞬間の贈り物をもたらすのです。そこで愛のビームを見いだしてください。
それで、ご自分が束縛をされていない自由の身であることがご自分でわかれば、貴方の内側から笑いや陽気さが高まってくることでしょう。
あなたが何者にも束縛をさない自由の身で気持ち良く笑顔で生きる生き方を教えてくれるのが自由自在に生きている救世主です。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の方々はあなたの本来の心を知って本来の心に戻って気持ち良く笑顔で自由自在に生きていけるようにと教えを説かれました。
救世主の方々の教えは学問や哲学ではありません。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の方々は私達の魂の親です。
親と子は愛の関係で学問ではありません。
救世主の方々の教えは救世主の方々の心から発っせられます。
その教えは他の心(神仏の心)を知り自分の心を知る愛と慈悲の教えです。
私達はブッダやイエスキリストや他の救世主のこころをもっと感じ知らなければいけません。
ブッダやイエスキリストや他の救世主の心を深く知り感じる事で自分自身の本来の心を知り永遠の命を取り戻します。
信仰は救世主の心を感じ知る事であなたの心を知って行くことが信仰です。
貴方の信じる神仏を心から愛する心が持てるよう祈って下さい。
神仏を心をつくし魂をつくして愛して下さい。
神仏を心から愛して来ると自分自身を心から愛するようになります。
神仏を心から愛して来ると心の中がいつも光で満たされています。
この世の経験は貴方と共にに生きている神仏と他の生命体の心を知る為にあります。
私達が大きな光から生まれて大きな光に帰る事、大きな光を愛し愛されている事を思い出し心を何時も神仏に向け
色々な経験、体験を通して他の心を知りその経験と体験で大きくなった愛をこれからの子供達に向けて共に生きて下さい。
日木流奈君が言う世界がやってきます。
天のお舟に乗り込んで つま弾く指を携えて
銀河に響くメロディーを 奏でるために旅立った
時代は来世 人々は 琴に玉水はじかせて
七色橋より滴り落ちる 光し羽衣、胸宿す
忘れ去られて那由他 不可思議 幾年過ぎた
物語を始めよう 再び始まる物語
お伽話とみまごうほどの美しき
天地をつなぐ物語 それはあなたの物語


今、沢山の神仏が人として日本に生まれています。
お伽話とみまごうほどの美しき世界では神仏と人は愛で繋がっています。
そのような心を持った人々の世界です。

今、神仏を心をつくし魂をつくして愛して下さい。
そのような者に私は成りたいと祈って下さい。お伽話とみまごうほどの美しき世界を創造して下さい。

あなたは、お伽話とみまごうほどの美しき世界に生まれかわり神仏と愛で繋がって生きています。


救世主を求め続けて下さい。
探し続けて下さい。
たたき続けて下さい。

そうすれば出会える。
そうすれば与えられる。
そうすれば見出す。
そうすれば開かれる。

生きて今、ここに居ることに全てを支えている愛と慈悲の神に愛と感謝


ブッダの涅槃

釈迦、入滅後400年間、釈迦の像は存在しなかった。
彫像のみならず絵画においても釈迦の姿をあえて描かず、法輪菩提樹のような象徴的事物に置き換えられた。
崇拝の対象は専ら仏舎利または仏塔であった。

お経が書かれたのは釈迦、入滅後100年〜400年後である。

私が娑婆に居る時も入滅した後も悟りを求めるあなた方を悟りに導けれるのは悟りを開いた者だけである。
悟りを開いてない者から教えを受けても悟りを開く事はありません。
私の教えは
自己の本性を知りブッダすなわち覚者となる教えです。菩薩を悟らしめんが為の教えなり。
あなたが未来に悟りを開く事又、いま悟りを開いた事を証明出来るのはブッタ(悟りを開いた者)だけです。
本当の自分を知るということは、ブッダの心を知ることです。

私が入滅して後、
汝らは、みずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず
法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることのないように。
私が入滅した後でも教えを求める衆生の為に私と会い私から直接、無上の法を聞く事の出来る教えをのこします。

衆見我滅度 広供養舎利 
咸皆懐恋慕 而生渇仰心

衆生既信伏 質直意柔軟 
一心欲見仏 不自惜身命

時我及衆僧 倶出霊鷲山 
我時語衆生 常在此不滅

以方便力故 現有滅不滅 
余国有衆生 恭敬信楽者

我復於彼中 為説無上法 
汝等不聞此 但謂我滅度

衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し
(じゅう わがめつどをみて ひろくしゃりをくようし)
咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず
(ことどとく みなれんぼをいだいて かつごうのこころをしょうず)
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に
(しゅじょう すでに しんぷくし しちじきにしてこころにゅうなんに)
一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜まず
(いっしんにほとけをみたてまつらんとほっして みずからしんみょうをおしまず)
時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず
(ときにわれおよび しゅうそ ともにりょうじゅせんにいず)
我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず
(われときに しゅじょうにかたる つねにここにあってめつせず)
方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず
(ほうべんりきを もってのゆえに めつふめつありとげんず)
余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば
(よこくにしゅじょうの くぎょうし しんぎょうするものあらば)
我復彼の中に於て 為に無上の法を説く
(われまた かのなかにおいて ためにむじょうのほうをとく)
汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり
(なんたちこれをきかずして ただわれめつどすとおもえり)

衆生よ私が入滅したら仏塔(供養塔)を立て広く仏舎利(仏陀の遺骨)を供養しなさい。
私を供養する皆が私に咸く恋い慕う心(愛する心)を懐き
渇いた者が水を切望するように私に会いたいと願うでしょう。
私の教えを既に正しき信を懐き飾り気がなく正直にこころ柔軟に行っている衆生よ
みずから身命を惜まず苦しい時も悲しい時も辛い時も命を奪われそうな時でも
私を愛し一心に私に会いたい見たいと祈り願いなさい。私を常に意識しなさい。心を向けなさい。
あなた方が身命を惜まず私に愛する心をいだき私に一心に会いたいと祈り切望した時
私はあなた方一人一人の前に姿を現します。
あなた方が私に愛する心をいだき私に会いたいと祈り切望し私の姿を見た時
私と私と共にいる衆僧があなた方と常に共にある事を知るでしょう。
姿を見せたりあなた方から少し離れ見守っているのはあなた方一人一人を正しく導く故にです。
新しく生まてくる衆生の中に私を愛し慎み敬い教えを聞きたいと願う衆生があれば
私はその衆生の所に何回でも行き心のん中に直接、無上の法を説きます。
汝らの心に説いた教えを汝らが聞いても行わなければ私は汝らにとってその時から存在しない者となるでしょう。
南無釈迦牟尼仏
(なむしゃかむにぶつ)

お釈迦様
この教えで私とあなたを求める沢山の衆生が救われます。
ありがとうございます。


ブッダはすべての人々に分に応じて智慧をあたえブッダを愛する者には惜しみなくそれを与えられた。
ブッダを愛する事こそ輝かしい智慧。ブッダは御自分を示すために智慧を分けあたえこうして彼らはブッダを見るようになる。


最も美しいものとは一体どこにあるのでしょうかそれは、一人一人の人間の中にあるのです。
私の秘密をおしえましょうか。
私は祈ります。お釈迦様に祈るということは、お釈迦様を愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら
私の答えは「神仏を愛することです。」そして、何よりもまず懺悔し祈ること。
神仏でさえも、神仏を求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。人が天から心を授かっているのは、神仏を愛するためです。

ブッダや貴方の信じる神仏を愛して来ると何々をして貰いたいから何々をして上げたいと言う心になってきます。
お釈迦様に喜んでもらいたい美味しいコーヒーを入れて上げ飲んで頂きたいと言う心と行動になってきます。
神仏に喜んでもらいたい、そのような者に私はなりたいと思う心が貴方に芽生えてきたらもうすでに貴方は救われているのです。
救いを求めるのではなく仏を思うそのこころ、すでに救われているつまり利益はそこにある。
仏を思うそのこころとは仏を愛するこころです。
I LOVE
地蔵菩薩

お釈迦様、貴方の教えは何処からにて何処に届き何処に留まるのですか。
私の教えは私のこころからあなたの心に届き私を愛する人の心の中に留まります。
神仏の心を感じて下さい。知って下さい。
ブッダの心を知ることは、本当の自分を知るということです。
ブッダの心は愛と慈悲です。貴方の心も愛と慈悲です。
ブッダの教えは心を知る教えです。自己の心を知る教えです。何処に居てもどのような環境でも気持ち良く生きていける教えです。


神仏への懺悔
懺悔(ざんげ)とは、自分を振り返り反省し神仏に今、謝らなければいけない事は自分の過去世と先祖にも同じようにあるので自分の今世、過去世の罪悪と先祖の罪を神、如来、菩薩、に告白し神仏に誤り悔い改め先祖と自分が神仏を愛し生きて行く事が出来るよう神仏を愛している本来の自己に立ち返れるよう祈りお願いする事です。神様にごめんないさいを言えなければ其処から前に進めません。
神仏に誤る事が出来ないとただただ苦しい思いをするだけです。

神に罪が許されて来ると神を愛する心がもててきます。懺悔と祈りは二つで一つです。

懺悔はこころを洗濯する行為です。こころを聖水で洗い流す行為です。自分自身を許す行為です。
新しい創造に向かうための大切な行為です。心を素直にし神仏に今までの反省するてんを懺悔して心のちり、アカ,、心の悪いクセを洗い流し瞑想し心を静かに穏やかにする癖ずけをしながら心に素直に生きて行く事を願います。日々こころの洗濯をして下さい。

今日一日を振り替えるのに日記をすけるのも良いと思います。もう一つ大事な事は人を赦すと言う事です。
人をゆるす事で心の暗さやつかえが取れ心が軽く明るくなります。人をゆるしているようで自分自身を赦しているのです。
人を赦す事も心の洗濯です。

瞑想
瞑想は心を静かに穏やかにする癖ずけです。心も身体も悪い癖を付けると本来の自分からはなれ良い癖を付けると本来の自分をしります。心が静かに穏やかに成るので心が静かで穏やな意志、意識を感じれるようになります。心が静かで穏やな意志、意識を感じる事で自己を悟って行きます。まず、肺に残っている汚れた息を全部吐ききり鼻からゆっくり息を吸い気持ちいいと思いながら丹田に息を溜め気持ちいいと思いながらゆっくり口から吐いて下さい。気持ちのいい瞑想をして下さい。静けさと気持ち良さを感じて下さい。ふとんで寝たままでもイスに座ってでもOK1分でも5分でも毎日つずけて見て下さい。瞑想にも色々なタイプがあります。自分にあったやり方でやる事が大切です。お釈迦様の教えの八正道も本来の自分にたちかえる為の良い癖ずけです。日々の生活の多は私達の自己の中にある美しさ、宇宙を作られた方の美しさに心を向けない悪い癖と心を静かに穏やかにしない癖が付いています。心を静かに穏やかにするには反省と瞑想が良いと思います。美しい者を意識する事も良いと思います。悪い癖が付いていますのでスポーツの練習のように繰り返し繰り返しやってみて下さい。貴方が繰り返し反省と瞑想をして心が静かに穏やかになれたなら成ったのでは無く本来、あなたが元々そうだからです。本来、心を静で穏やかで無い者が1000年、1億年、反省と瞑想を繰り返しても永遠に心を静で穏やかになれません。瞑想して心の疲れを取って下さい。
心の友へ。

マインドフルネス
マインドフルネスは、自分の身体や気持ち(気分)の状態に気づくを育む「こころのエクササイズ」です。
マインドフルネスのやり方
イスか床に背筋を伸ばし体と顔の力ぬき座ります。
短い呼吸でも長い呼吸でもよいので自分のしやすい呼吸をします。
その呼吸と呼吸をする事で喉や器官を通る空気や膨らむ胸やお腹に意識をむけ息をします。
5分〜10分くらい毎日やって見て下さい。
ストレス対処法の1つとして医療・教育・ビジネスの現場で実践されています。

信仰神仏と共に気持ち良く生きる)
信仰は心みたされ気持ち良く心が穏やかで幸せな生活を送るためには何処に意思意識を向けどの様な心と行いで
毎日生活すればよいかと言う教えを行う事が信仰です。本来は自然に出来ている事です。
何処に意思意識を向けるかお釈迦様。(あなたの信じる神)
どの様な心でお釈迦様を愛する心。(恋いこがれる心、大好きな心)
どの様な行いお釈迦様を何時も1番に考えあなたが釈迦に愛する心で行う全ての行為。

暑い日はお釈迦様冷たい飲み物作ったので飲んで下さい。
買い物する時は1番めにお釈迦様に食べてもらいたい物を買い。それから自分の物を買い。
料理を作る時はお釈迦様においしく食べてもらいたいと思い作り。何時もお釈迦様を1番目に考えて下さい。
好きな人にやっているようにお釈迦様に愛の表現をして下さい。ブッダは大変喜びます。
その行為がブッダを心から愛している本来のあなたに早く近ずけます。
お釈迦様をこころをつくし魂をつくして愛して下さい。
心の底から釈迦を恋いこがれるようになった時、釈迦を感じ姿を見る事が出来るようになります。
釈迦を愛する心を持てて来ると釈迦を感じたりお姿を見せて頂く事もあると思いますが1番大事な事は自分自身がなりたい
心の状態になってきているかが1番大事です。よく自分自身を見つめて下さい。

釈迦の教えは釈迦の心からき来てあなたの心に届き釈迦を愛する心で行う行為をする人の所に留まります。
ブッダと愛で一つに成る教えは気持ち良く生きる教えです。

釈迦如来は欲を捨てなさいと教えてはいません。欲を捨てろと言う教えは間違った教えです。
人の欲望とブッダの智慧を同じと見る者は無上の啓発の領域に到達せり。これがブッダの教えです。
釈迦はあなたは欲を何処に向けるの何を欲するの。元々ある者、元々無い者。永遠にある者、消え去る者どちら。
向けかたを間違うと迷い苦しみ私から遠く遠く離れて行きますよと教えてくれているのです。
心から釈迦如来を好きになって下さい。苦しい時も悲しい時も嬉しい時も全てを如来と分かち合って下さい。
どんな時でも神仏はあなたの側にいます。

お釈迦様はやや面長な顔立ちの見た目は20代前半位の穏やかで優しいハンサムな方です。
映画でキリスト役の人が着るような白い服も着ていますがスーツ姿もバッチリきまっています。
普通、サーフボードは波に乗るボードですがお釈迦様はサーフボードに乗って道や階段をすうすうと滑るように進みます。
サーファーですね。サーフボードで波に乗る、サーフボードで道や階段をすうすうと滑るように進むお釈迦様のお姿は釈迦が
自由自在に生きていると言う事と貴方がたも自由自在に生きなさいと言う事を教えていると思います。
私はお釈迦様より小さいサーフボードに乗りお釈迦様の後ろを着いて行こうとしましたがうまくサーフボードに乗れずサーフボードを
横にかかえ走ってお釈迦様の後ろを着いて行きました。
まだまだですね。(*^_^*
機会がありましたらお釈迦さまの事を詳しくお話します。
ありがとうございます。

I LOVE
ブッダ


ブッダは捜して見出されるはずがないそれ故、己が自身の心を熟視せよ!
仏陀・ミラレパ

仏陀ミラレパの教え
この世と空を同じであると見るものは真の認識の領域に到達せり。

夢と目覚め間にいかなる相違も感じぬものは真の実修の領域に到達せり。

至福と空の間にいさなる相違も感じぬものは真の行為の領域に到達せり。

いまとそのときの間にいかなる相違も感じぬものは実存の領域に到達せり。

心と空を同じであると見るものはダルマ・カーナ(精神的な智慧)の領域に到達せり。

苦痛と喜びの間にいかなる相違も感じぬものは真の教えの領域に到達せり。

人の欲望とブッダの智慧を同じと見るものは無上の啓発の領域に到達せり。

自性心とブッダは同じであると識るものは真の成就の領域に到達せり。

ミラ・シェーペー・ドルジェ1052 - 1135]) はチベットで最も有名な仏教修行者・聖者・宗教詩人の一人である。
一生のうちに仏陀の境地を成就した偉大なるヨーガ行者として尊敬を集め万民に愛されている。
一般に師であるマルパ・ロツァワ(1012-1097) とともにチベット仏教四大宗派の一つであるカギュ派の宗祖とされる。
ミラレパは一家を不幸のどん底に陥れた叔父と叔母に激しい憎悪を抱く母の悲願を受けたミラレパは復讐のために黒魔術を学び修得した呪法によって叔父一家や虐待に加わった村人たち35人を呪殺し復讐を遂げる。さらに雹嵐を起こす呪法によって村のすべての農作物を壊滅させてしまう。こうしてミラレパは黒魔術によって巨大な悪業を積んでしまったがその後自らの悪業の報いに恐れを抱いて真の仏法を求めるようになったミラレパは、ニンマ派の奥義ゾクチェンを成就した
高名なラマ、ロントン・ラガに弟子入りしたがラマに帰依することが出来ず何の霊的進歩も起こらなかった。
そこでロントン・ラガはミラレパに前世からのカルマ的な因縁のある別のあるラマの下に行かなくてはならないと告げる。
そのラマこそが、ミラレパの生涯の師となるマルパ・ロツァワであった。
マルパは、(インドの聖者ナーローパマイトリーパ)ら直伝の新訳密教の法脈を伝える成就したラマであり、訳経師であった。
ミラレパはマルパの名前を聞いただけで心が喜びに満たされ戦慄が全身を貫いて髪の毛は逆立ち涙はこぼれ激しい信仰心が呼び起こされたという。ロントン・ラガの下から送り出されたミラレパはロダクという谷にあるトールン村の寺院に住むラマ・マルパを訪ねて
入門を乞うた。マルパはミラレパが初めて自分を訪ねて来た日の早朝、ある霊的な夢を見ていた。
師であるナーローパの命でわずかに汚れた水晶の金剛杵(ドルジェ)を甘露で洗い勝利幡(ギャルツェン)の上に掲げると、それはまばゆいばかりの光を放ち、その光を浴びた六道の有情がすべて済度されて至福に満たされ勝利の神々が上方から祝福を述べているという夢であった。また妻のダクメマも同様の夢を見ており、これらによりマルパは、ミラレパが師ナーローパとダーキニーによって授けられた特別な弟子であることを最初から知っていたのであった。その後すべての教えを授かってマルパの元を離れたミラレパは師の訓戒に従って人里離れた山中の洞窟で長期にわたる孤独な苦行に励む。 ミラレパは修行中に食べ物の貯えが尽きると、集落まで托鉢に行く時間を惜しんで洞窟の周囲に自生するイラクサの水煮のみを食べて瞑想修行を続けたため体中が緑色になり痩せ衰えて幽霊のような風貌になったという。また、着ている服が擦り切れて使い物にならなくなると衣服を探す時間を惜しみ洞窟内にあったツァンパ(炒った大麦粉)の布袋を体にまとって修行を続け、それさえも擦り切れると最後には全裸のまま修行を続けたという。
そのような熱誠を込めた精進の末にミラレパはついに様々な神通を現すことが出来るようになる。
昼には意のままに変身し空中を飛行し奇跡を起こし、また夜には夢の中で宇宙の果てまで探索し無数の化身を現し仏陀の浄土に赴いて説法を聞き無数の有情に法を説き導くことが出来たという。
そしてミラレパは、最終的に完璧な悟りを得て仏陀の境地を成就する。
ミラレパは「トゥンモ」のヨーガの成就によって体温を制御出来たので雪線より高地でも綿衣のみしか身に付けなかった。
これが「ミラ姓のレパ(綿衣の行者)=ミラレパ」の名前の由縁である。また後に弟子たちもミラレパに習って白い綿衣をまとい「レパ」を名乗るようになった。それからは各地を遊行しながら仏法を宗教詩に歌い上げて人々を教化し器のある弟子には灌頂・瞑想法の伝授を行い必要に応じて数々の神通を現しながら多くの弟子を育成する。最終的に多数の弟子たちが修行により悟りを得て各々が優れたラマ(師僧)となり、また多くの弟子たちが輪廻から解放され、また三悪趣から解放されたという。
ミラレパによって済度された弟子たちの中にはミラレパの妹であるペタ・ゴンキー、かつての許嫁で在俗の信者であるジェーセ、そしてミラレパが黒魔術に手を染めるきっかけとなったかつての宿敵である叔母キュン・ツァ・ペルデンも含まれていた。またミラレパは遊行先の各地で人に害を加える神魔に対して説法し改心させて仏法への帰依を誓わせ修行者を助ける護法神としたため人間以外の多くの弟子もミラレパによって済度され、またその地は修行に適した聖地となったという。
このようにミラレパは縁ある無数の有情を利益し円満に済度したという。 こうしてカギュ派の法脈はチベットの地に深く根を下ろし、その教団は大きく発展した。晩年、ミラレパの名声に嫉妬を抱く学僧ゲシェ・ツァプワが、ミラレパの毒殺を画策した。ゲシェは自分の妾に対して計画が成功すれば高価なトルコ石と正妻の座を見返りに与えると約束して計画に協力するよう説得し毒入りのヨーグルトをミラレパに供養させた。ミラレパは神通によってそれを事前に知っていたが縁ある有情の済度はすべて終わっており毒を飲まなくても自らの寿命が尽きようとしていることを知っていたので、ゲシェと妾の望みも叶えてやろうとする大慈、計画の露呈を知った途端毒ヨーグルトをミラレパから取り返して飲もうとした妾への大悲、そして有情の生命を護るという菩薩の誓願に従って自らそれを飲み深刻な病に陥った。
後にゲシェはミラレパが真の仏陀であることを知り自らの邪悪な行いを激しく後悔して改心し、その後全財産を布施してミラレパと弟子たちの熱心な帰依者となった。ミラレパは弟子たちに自らの「死」を通して最後の教えを与えるためチュバルの地に赴き大勢の弟子たちに囲まれて、83歳でこの世を去った。ミラレパの死の瞬間には、その完全な悟りの境地を裏付ける、数々の奇瑞が顕われたという。

I LOVE ミラレパ
内的人間の『根底』を徹底して見つめ宇宙の『基底』と繋がられたのがお釈迦様とミラレパです。
ミラレパは黒髪でハンサムな方です。髪の長さは写真より短く肩にはかかっていなく顔はもう少しやせています。
ミラレパは綺麗な黒髪の女性と一緒でした。私が悪い者に追いかけられていましたので隠れるようにとかばってくれました。
ミラレパありがとうございます。

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神と共に気持ち良く生きる
シュリ・ラーマクリシュナ

シュリ・ラーマクリシュナは一八三六年二月十八日、インド西ベンガル地方のカーマールプクル(カマルプクル)という小村に生まれた。
彼の両親は、敬虔で信仰深い、そして誠実な人びとであった。この高貴な夫妻はこの子の誕生の前に神のヴィジョンの経験を得ていた。
幼いときから、シュリ・ラーマクリシュナは、礼拝やその他の宗教的行為に深い興味を示し、しばしば、黙想や高い霊的ムードに没入した。
六、七歳のころ、彼は驚くべき経験をした。彼が広い野原の道を歩いている時にわかに黒い雨雲が空をおおった。それをじっと見上げていると、かなたから純白のツルの一群が飛んできた。黒い雲と飛ぶ鳥の白との対比の美しさに圧倒されて幼い彼の心はこの世界のはるかかなたにさまよい出た。神的な喜びと感動のあまり忘我の状態に入ったのだが自然の美への賛嘆がこの経験をもたらしたのであった。

シュリ・ラーマクリシュナは最初のヴィジョンをつぎのように描写している、家、壁、ドア、聖堂すべてが空無と化して消え去った。
その時、私は光の海を見た。無辺際の生きた意識であるところの至福の大海である。四方から深いとどろきとともに光の波が私に向かって押し寄せ私をまき込んでおぼれさせ、私は完全に外界の意識を失ったと。シュリ・ラーマクリシュナは意識を回復したとき「母よ、母よ」という言葉をくり返していた。この神聖な経験は深く彼の心を慰め彼は狂人のように神を愛する状態となった。

弟子たちに向かって彼はよくこのように話した、「心の底から神を恋いこがれるようになったとき、彼のヴィジョンを得る。このとき、ハートに知識の太陽が昇る。彼を恋いしたい彼を強烈に愛せよ……母親は自分の子供を愛し貞淑な妻は夫を愛し、けちん坊は自分の富を愛する。この三つの愛をあわせたほど深く神を愛せよ。そうすれば神を見ることができると。

人間の世界で見られる関係に相当する五つの関係がある。その第一は神に対する穏やかな態度、第二は召使の主人に対する、または
子の親に対する関係、第三は友人同士の関係、第四は親の子に対する関係、第五は女性のその恋人に対する関係である。これらの関係のおのおのを通じてシュリ・ラーマクリシュナは神との合一をとげた。ふつう、求道者は、そのなかのたった一つを成就するために全生涯をかけるのである。シュリ・ラーマクリシュナの信仰の深さと多様さは彼の超人的性質を示すものである。

シュリ・ラーマクリシュナはいま世界の他の宗教の真理を悟りたいと熱心に望んだ。それらも同じ目標すなわち神に到達するものであるかいなかを知りたい、と思ったのである。一八六六年、彼はイスラムの修行に引かれ、やがてスーフィ派に属するある回教信者の弟子となった。そして回教信者のするとおりの厳しい生活をしアラーの名をとなえ、他のさまざまの行も実践した。彼は回教徒ふうの衣服をつけ食物も回教徒と同じものをとり聖堂に詣ることもやめた。彼は三日後に回教の信仰の目標をさとった。最初、長いひげを生やし厳かな表情をした、光り輝く人のヴィジョンを得、やがて回教の聖典に述べてあるとおりの属性を持つ無形の神をさとり、つづいてブラフマンに融合した。このようにしてイスラムの道も、彼を、すでにヴェーダーンタの修行で到達したのと同じゴールに導いたのである。

シュリ・ラーマクリシュナはまたキリスト教の真理を学びたいというおさえがたい願望を抱いた。彼は一八七四年十二月に、ときどきタクシネシュワルで信仰の深いキリスト教の聖者に会っていた。この聖者の指導のもとに前にも信奉者の一人からたびたびきいていたバイブルの教えに深く思いを潜め、キリスト教を瞑想した。間もなく彼はイエス・キリストのヴィジョンを得た。ヴィジョンはまず彼を抱擁し、それから一条の光の流れの形で彼の体に入った。このヴィジョンと経験は彼の全心身を至福の恍惚感でみたし、彼はサマーディすなわち超越意識の状態に入った。シュリ・ラーマクリシュナはイエス・キリストが人類救済のためにこの世に生まれたアヴァターラ、すなわち神の化身であることを確信した。しばらくのあいだ、シュリ・ラーマクリシュナはヒンドゥの神々や女神たちを礼拝することができなかった。この状態は母なる神に懇願の末、ようやく除かれたのであった。

あるとき、誰かがシュリ・ラーマクリシュナに、「なぜそのようにあまたの道をおたどりになったのですか。至高の目標に到達するには一つの道で十分ではありませんか」とたずねた。彼の答えは、「母は無限である。彼女のムードもお姿も無限である。私はそれらのすべてを知りたいと思った。また、彼女も私にさまざまの宗教の真理をお示しくださったのである」というものであった。彼はブッダを神の化身と見、このようにもらした、「人びとはブッダが無神論者であったと考えている。しかし、彼は無神論者ではなかった。ただ彼は、自分が経験したことを言葉では表現することができなかったのである。人の知性が絶対かつ純粋の意識に没入したとき、その人はブラフマンの知識を得る。
つまり自己の本性を知る。これがブッダ、すなわち覚者となることなのである」と。


シュリ・ラーマクリシュナの生涯は諸宗教の調和を証明している。彼の教えは、この調和をくり返しくり返し強調しているのである。彼は言っている、「同一のゴールに到達するために、じつにたくさんの道がある。……私はヒンドゥイズム、イスラム、キリスト教、そしてヒンドゥイズムのなかではまたさまざまの宗派の修行を実践した。それで私は道こそちがえ、それらすべてがめざしているのは同一の神であるということを知ったのである。……池のふちには何ヵ所かに階段がついている。ヒンドゥはそのなかの一ヵ所で水をくんでジャルと呼び、回教徒はもう一つの階段でパーニと呼びキリスト教徒は第三の階段でくんでウォーターと呼ぶ。名前はちがうが物は同一である。またみなは同じものを求めているのだ。世界の各宗教はこの階段の一つひとつのようなものである。どの階段でもよい、真剣に熱心に進んで行け。不滅の至福という水をくむことができるだろう。ただし、自分の階段は他の階段より良い、などと言ってはいけないと。

ここで、シュリ・ラーマクリシュナと彼の妻との関係について述べよう。婚約式の後、シュリ・ラーマクリシュナはダクシネシュワルに戻り、他のことはいっさい忘れ、ふたたび全心全霊を傾けて霊性の修行に没入した。サラダマニ・デヴィは両親のもとで暮らした。彼女は高度に霊的な性質を示し、多くの神聖なヴィジョンを得ていた。十八歳になったとき、夫に仕えることを義務と感じてダクシネシュワルにきた。シュリ・ラーマクリシュナは快くこれを迎え、彼女がここに定住するためのさまざまの手配を整えた。しかし、彼は彼女にたずねた、「きかせておくれ、あなたは私を世俗の生活に引きずりおろすためにこられたのか」と。彼女は即座に答えた、「おお、いいえ、私はあなたがご自分の道をお歩きになるのをお助けしようと思ってまいりました」と。彼女は彼の最初の弟子となり、生涯、尼の生活を生きたのである。シュリ・ラーマクリシュナは彼女に霊性の修行を教え、その進歩を見守った。サラダマニ・デヴィは超越意識の最高境地を含むあまたの霊的経験を得た。

シュリ・ラーマクリシュナにとっては、結婚した妻さえも母なる神のような存在であった。ある吉祥の夜、彼女を自室に招き、聖典の命じるとおりの形で彼女を宇宙の母なる神として礼拝した。儀式のあいだに両者とも深い法悦状態に入った。長時間の後、外界の意識をとり戻すと、シュリ・ラーマクリシュナは聖典にある賛歌を朗唱しつつ、彼の霊的修行の結果のいっさいを、ロザリーとともに彼の妻として現れている宇宙の母なる神の足下にささげた。シュリ・ラーマクリシュナは物質の世界でなく、霊性の世界で彼女と一体となったのである。

サラダマニ・デヴィは十四年間、夫とともに生活した。一八八六年、シュリ・ラーマクリシュナが亡くなるまで、彼およびその弟子たちに仕えたのである。後には、ホーリーマザーという尊称を受けつつ、シュリ・ラーマクリシュナの名のもとに、彼の優れた弟子スワミ・ヴィヴェーカーナンダによって設立された僧団の、指導的存在となった。
I LOVE シュリ・ラーマクリシュナ
母宇宙
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の力は神力、如来の使う力も神力、天使の使う力も神力、聖霊の使う力も神力、菩薩の使う力も神力です。
如来力、菩薩力、天使力、聖霊力はありません。全て神力です。
宇宙から見える美しい地球全体を愛するのも、地球の中に咲く一輪の花を愛するのも同じ者を愛しているのです。

なぜでしょう。
それは地球も地球の中に咲く一輪の花も心は同じだからです。
創造主が大きな大きな無辺際の生きた光で
お釈迦様や

イエスキリスト
ミラレパ
シュリ・ラーマクリシュナは創造主の光の中から生まれた大きな光の花です。
創造主を言葉で表現するのは不可能ですが私なりに表現するとしたら
不思議な大きな大きな光、不思議な心、不思議の力、
不思議な御方、大きな大きな気持ちの良い光の海、私達の帰る故郷です。
創造主は全てをお作りになられましたがその創造主も何かに生かされていると私は思います。
あなたは不思議な大きな大きな光から生まれた一輪の花です。
一輪の花(あなた)も大きな光も心は一緒です。思いだして下さい。
神仏を愛する事で思いだせます。
仏教、神道、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教を信仰してい方々あなたの信ずる神仏を心をつくし魂をつくして愛して下さい。
そのような者に私はなりたいと祈って下さい。


ガヤトリーマントラ
オーム 

ブール ブヴァハ スヴァハ
(物質の世界、こころの世界、あまねく天界に)
タット サヴィトゥル ヴァレーニャン
(すべてに満ち満ちるすべてなる存在に身を任せ受け入れます)
バルゴー デーヴァッシャ ディーマヒ
(すべてなるものの真理とその大いなる光に繋がり)
ディヨー ヨー ナハ プラチョーダヤートゥ
(その光が我々に降り注がれ究極の真理、本当の自分に目覚めることができますように)

オーム(聖音)
物質の世界、こころの世界、あまねく天界に
すべてに満ち満ちるすべてなる存在に身を任せ受け入れます
すべてなるものの真理とその大いなる光に繋がり
その光がわれわれに降り注がれ
究極の真理、本当の自分に目覚めることができますように。

朝、昼、晩に3回ずつ唱えることでその日に犯した罪はすべて帳消しにされるといわれています。また毎日数マラ(1マラは108回くり返すこと)を唱えることによって、今生でも来世でも、あらゆる幸運と恵みがさずかるともいわれています。ガヤトリーは24の音節からなっているため、合計24000回となえることもまた、とても大きな意味があるといわれます。

聖ラーマ・クリシュナ
私は常々、霊的修行に長日月を費やすべきでないといっている。
しかし、この短時間のガーヤトリー礼拝による霊性修行は別だ。
ガーヤトリー・マントラを唱えることで偉大な霊的目標に到達するだろう。このマントラはとても短いが無限の力を秘めている。

スワミ・シヴァナンダ
毎朝午前3時から午前6時の神聖な時間帯にガーヤトリー・マントラを唱えることで魂は磨かれ心は神聖となる。
肉体は病を克服し、性格は清らかになる。知性が研ぎ澄まされ記憶力が鋭くなることで物事を見通す力がつく。
耐え難い逆境にあるとき、ガーヤトリー・マントラの力は助けとなる。
その結果、人はあらゆるものに浸透する精妙なもの(神)を理解する。

ガヤトリーマントラCD


イエスキリスト

あなたがたが祈る時は魂のひそかかな室に入り戸をすっかり閉じ聖なる瞑想で祈るがよい。数多き言葉を言うに及ばない。
また異邦人のように何度も同じ言葉を繰り返す必要もない。ただこの通りに祈るのだ。


天にいますわれらの父よ聖名(みな)のあがめられるように御国(みくに)のくるように。
御心(みこころ)の天の行われるごとく地にも行われるように。
われらになくてならぬ食べものを今日も与え給え。

すべて、われらの負債(おいめ)をゆるして下さるように、ほかの人々がわれらに負う負債を忘れさせ給え。
われらに堪えがたき大きな誘惑者のわなにかからぬようにわれらを守り給え。

かかるわなが来ればこれに打ち勝つ力を与え給え。

もし、あなたが神と人に負うすべての負債、またあなたがたが勝手におきてを犯した負債から許してもらいたいなら。
あなたがたはすべての人の負債を許してやらねばならぬ。
それはあなたがたが人にしたように神はあなたがたにするであろう。

イエス・キリストの復活はイエス・キリストのみにとどまるものではなく、全ての人に及ぶものです。
善行をした者も悪行をした者も最後の審判の日には全ての人が復活し、善行を行った者は生命の復活に出て
悪行を行った者は裁きを受けるために復活します。

善行を行って今、生命の復活に出てるあなたは魂を永遠に生かす食べ物を食べなければあなたの魂は永遠に生きて行けません。
キリストのもとえは帰れません。
あなたは今世、永遠の命を得る為に魂を永遠に生かす食べ物を食べに復活しています。
魂を永遠に生かす食べ物とは何でしょう。
目に見えるパンや葡萄酒ではなく魂を生かすキリストの心のパン(肉)と葡萄酒(血)です。
キリストの心のパンと葡萄酒とは何でしょう。それはキリストの愛です。
キリストの愛を食べることであなたの心が愛で満たされキリストの愛とあなたの愛が一つになり貴方は永遠の命を取り戻します。
心をつくし魂をつくしてキリストを愛して下さい。

イエス・キリストの復活は父神とキリストと貴方が永遠の者であることを示しています。
イエス・キリストの復活を心から信じてる方々キリストに大好きだよと声をかけられるように成って下さい。
イエス・キリストにお姿を見せてもらって下さい。会って下さい。

あなたの前にイエス・キリスが現れるのは貴方の心しだいです。
心を尽くし魂を尽くしてイエス・キリスを愛して下さい。
その様な私に成りたいと祈ってください。



イエスキリスト
わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
しかし、これは天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
わたしは天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。
それで、ユダヤ人たちは「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と互いに激しく議論し始めた。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。

人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。
わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。

アーメン

福音書の中でマルコ伝のみが神の国はある人が地に種をまく様なものである。
自然の力で育って行くという種まきと収穫のたとえを載せています。
ここにおける地とは神なる宇宙意識のシンボル(象徴)です。
宇宙意識は全ての真理と全の知識とを苞合所有し自己自身の内に新しい顕現をみのらせるためにと
芽生える時のくることをひたすら待っている未発の諸法則を含んでいるのです。
作物が実れば種をまいた者の所有なる様に宇宙意識の新しい顕現が充分に実現すると
その顕現が完成されてそれをあらわせた者の所に帰って来るのです。

イエスキリストの最後の言葉。
エロイ・エロイ・ラマ・ズバクタニ
父よ私は自分の魂をなたに捧げた。そして今、使命を果た。
父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。

従来の今までの訳
エロイ・エロイ・ラマ・サバクタニ
父よ父よあなたはなぜ私をお見捨てになったのか。
父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます


神と共に気持ち良く生きる
最も美しいものとは一体どこにあるのでしょうかそれは、一人一人の人間の中にあるのです。
私の秘密をおしえましょうか。
私は祈ります。キリストに祈るということは、キリストを愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら
私の答えは「キリストを愛することです。」そして、何よりもまず懺悔し祈ること。
キリストでさえも、キリストを求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。
人が天から心を授かっているのは、を愛するためです。神と共に気持ち良く生きるためです。

歓喜は突然、向こうからやって来ます。
やさしく夢見る瞳が時空と空間を超越して私をじっと見つめていた。
そして私は身動きがとれなくなりまったく言葉が出なくなってしまった。
ただ佇みあなた(キリスト)しか目に入らなかった。
あなたを見たとき息が出来なくなってしまった。
あなたを見たとき深く深く感じてしまった。
あなたを見たとき私はすっかり変わってしまった。
そう、今までの私ではなくなってしまった。
人生にたった一度だけ愛が押し寄せて人を変えてしまう事がある。
そして夜明けの光の束が闇を引き裂き心の奥を覚醒させる。
そんな事はそれが突然起きるまで全て嘘だと思っていた。
始めも終わりも無くあなたは私のためにいるかた。
それは事実あなた(キリスト)の瞳がそう私に語る。そう、あなた(キリスト)の瞳が私に教えてくれたの。

I LOVE イエスキリスト

キリストはすべての人々に分に応じて智慧をあたえキリストを愛する者には惜しみなくそれを与えられた。
キリストを愛する事こそ輝かしい智慧。
キリスト
は御自分を示すために智慧を分けあたえこうして彼らはキリストを見るようになる。


我らの神、主は唯一の主であるあなは心を尽くし魂えを尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。
今日、わたしが命じるこれらの言葉を心に留め子供たちに繰り返し教え。
家に座って居る時も道を歩く時も寝ている時も起きている時もこれを語り聞かせなさい。
父と子と聖霊の聖名においてアーメン

一人一人の心が神の国に成るように一人一人の心に教会を築かれる事に。

神が作られた僕であり民であることを思いだしますように。
神と共に今を生きる光の子へ


神への懺悔
懺悔(さんげ)とは、自分を振り返り反省し神に今、謝らなければいけない事は自分の過去世と先祖にも同じようにあるので自分の今世、過去世の罪悪と先祖の罪を神に告白し神に誤り悔い改め先祖と自分が神仏を愛し生きて行く事が出来るよう神仏を愛している本来の自己に立ち返れるよう祈りお願いする事です。神様にごめんないさいを言えなければ其処から前に進めません。
神に誤る事が出来ないとただただ苦しい思いをするだけです。
神に罪が許されて来ると神を愛する心がもててきます。
懺悔と祈りは二つで一つです。懺悔はこころを洗濯する行為です。こころを聖水で洗い流す行為です。自分自身を許す行為です。
新しい創造に向かうための大切な行為です。
心を素直にし神に今までの反省するてんを懺悔して心のちり、アカ,、心の悪いクセを洗い流し瞑想し心を静かに穏やかにする癖ずけをしながら心に素直に生きて行く事を願います。
日々こころの洗濯をして下さい。今日一日を振り替えるのに日記をつけるのも良いと思います。

キリスト者一人一人の最後の言葉。
キリスト,私は心から貴方を愛し魂をあなたに捧げた。そして今、使命を果した。
主よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。

人はキリストとの『独り子』の関係に立って初めて宇宙の『基底』とつながれ絶対的結婚関係が
実現して初めて内的人間の『根底』と結びつくのである。

男と女が愛で一つのなるように私はキリストと愛でひとつに成りたいと願っています。
キリストの愛とキリストを愛する愛と両者、愛と愛の出会いと全宇宙のあらゆる愛が出合い三つが融合し会う。
アーメン
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主と共に気持ち良く生きる

神への懺悔と祈り
主よ(父神)
私があなたを深く愛し私が自分で償いきれないほどの罪をつくっていなければ

キリストを十字架の上で最後を終わらせる事なくもっと違う形であなたは私に深い愛を示し
私はあなたの愛を知ることができたでしょう。
あなたの深い愛を知らず、また知ろうとしていなかった私を許して下さい。
どうかあなたに対しての私の愛の足りなさを許して下さい。
自分の愛する子を十字架の上で最後をおわらせたい親など何処にもいません。
十字架の上のその姿はキリストでありあなた御自身のお姿です。
あなたはキリストをとおして貴方とキリストの私へ
の愛の深さを教えてくれました。
今、私はあなたのキリストへの深い愛、私への深い愛を知りました確信しました。
主よどうか今までのあなたえの心のいたらなさをお許し下さい。
主よどうかあなたとキリストを深く愛している本来の私に立ち返らせて下さい。

あなたとキリストを深く愛している行動を行なわて下さい。
主よ私をキリストと愛で一つにならせて下さい。
アーメン

父神、イエスキリストこの懺悔と祈りを頂いた事に心から深く感謝します。
この懺悔と祈りで私とあなたの沢山の子供達が救われます。
本当にありがとうございます。


神はすべての人々に分に応じて智慧をあたえ神を愛する者には惜しみなくそれを与えられた。
神を愛する事こそ輝かしい智慧。神は御自分を示すために智慧を分けあたえこうして彼らは神を見るようになる。


たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、神を愛する心がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも
神を愛する心がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも
神を愛する心がなければ、わたしに何の益もない。

最も美しいものとは一体どこにあるのでしょうかそれは、一人一人の人間の中にあるのです。
私の秘密をおしえましょうか。
私は祈ります。父神に祈るということは、父神を愛することと同じなのです。
救われるためにどうしたらよいのでしょうと尋ねる人があったら
私の答えは「神様を愛することです。」そして、何よりもまず懺悔し祈ること。
父神でさえも、神を求めない者には、ご自身を押しつけることはできません。
信仰は恵みなのです。人が天から心を授かっているのは、神を愛するためです。

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神への祈り
おお父よわたしはあなたの声を風のなかに聞き
あなたの息はこの世界中のすべてのものに生命を与えています。
お聞きください。
わたしはあなたの前にあなたのたくさんいる子供たちのひとりとして今、立っています。
わたしは小さくて弱く、あなたの力と智恵とを必要としています。
どうかわたしを美のなかに歩ませなにとぞこの眼に、赤と紫の夕陽をお見せください。
この両手があなたの創られたものを尊敬させるようにしてください。
この耳をあなたの声が聞こえるように鋭くしてください。
そうすればきっとあなたがわたしの一族に与えられた教えを
一枚一枚の木の葉やひとつひとつの岩のなかにあなたが隠された教訓を
このわたしも理解するかもしれません。

父よ、わたしは力を求めています。
偉大なる敵と戦うことができるようになるための力ではなく
その力で汚れのない手と濁りのない眼をもって
わたし自身があなたのもとを訪れる準備をさせてください。

もしそれがかなうのなら日没の太陽が姿を消すようにわたしの生命が終わりを迎えた時
いささかも恥いることなくわたしのスピリットはあなたのもとを訪れることができることでしょう。


貴方がわすれている使命 
降りててきた…。この地球の経験を…たくさんの生涯を…魂の旅をするために…。
時間軸のレイヤーを抜けて闇の深みへと降りてきた…。
闇…ドロドロとした重たさ…それはここで成長するものだったから…。
それがそもそものデザインではありませんでした。
それはオリジナルプランにはないものでした。
それが計画の逸脱の積み重ねになりました。
それで私たちは実験というマトリクスの中で働いているのです。
それは地球時間で永遠とも呼べるほどの間、ずっと見守り,待ってきた
カウンシルのエルダーたちにとって思いがけないことでした。

破滅が差し迫るほど悪化した時、銀河中に呼び出しが出されました。
呼び出しは魂たちが至福の状態にある光の領域に出されました。
「誰が来てアシストしてくれる? 
誰が私たちの姉妹・ガイアと私たちの<人間の子供>をアシストしに来てくれる? 
人類のハートに愛を織り込むために…
彼らが光へと高まり,星々の間で彼らの場所を得るというチャンスを彼らに与えるために…
この領域に光がもたらされる必要があるんだ…。」

私たちは、闇の奥深くへと行って愛へ戻る経路をみつけるという決意の素晴らしさをそこに見ました。
そうしてたくさんの魂たちがその呼びかけに応えました。
光の場からは、それはシンプルなことに思えました。
「もちろん!私たちが助ける。私たちは光でいっぱいに満たされているもん。
私たちにはそれを地球域にもたらすことができるもん。」

しかし一度降りたならば…私たちにはドロドロとした重たさがどんなものなのか全く見当がついていませんでした。私たちはそんな領域に出かけたこともなかったからです。また私たちには、どうして胸が張り裂けそうなほどつらいのかについても、まったくわかりませんでした。
そして転生を繰り返すたびに闇の深みのより深くへと…闇のどん底に至るまでますます深くへと飛びこんでいったため私たちは私たちの
本当の性質を忘れてしまいました。いたましくも道に迷う者たちもいました。
いくらかの魂の光は弱まり、途絶え、それが多くの者たちを絶望に追いやりました。
けれども、そうでない者たちは自分の光を固守しました。彼らはビーコンとなってきました。

至福の中に住まう者たちすべての創造主の元からマスター(ブッタ・キリスト・ミラレパ・ラーマクリシュナ)たちも何名か降りてきました。
彼らは光の弾丸のようにどん底に直接降りて、そうして光の経路を輝かせながら昇っていきました。
しかし闇のフォースがそれらの経路をみつけ、そのプログラムを人類をダメにするために使いました。(現在の殆どの宗教団体の事)
でも、たとえほんの小さなひとつスパークだとしても、愛の完全性は生きていました。それは、そのスパークを認めた光から来た者たちの内側でまだ生きていたスパークと同じものだったからです。そして彼らはそのスパークがホームへの経路を照らし出す光,焔となるまで、より多くの光を彼らに求めることを始めました。だからこそ、あなた方は高まり、あなた方の内側の光があなた方をホームへと導いているのです。

そしてだからこそ、あなたは光の運び手である仲間たちと出会っているのです。
あなたの旅がもっとクリアになるように。
そうしてあなた方が一緒に高まっていくように。 これこそ、あなたがここにしにきたことです。
あなた方は本当に光を携えるために忘れなければなりませんでしたから、
それは最も純粋な完全性で成し遂げられてきています。
そうして今、あなたが自分という者を思い出すプロセスを経験しています。
ですから、今は喜ぶための時間です。

あなたは何度も後悔を感じ、「私はここに来る際に何を考えていたんだろう?」と思いました。
というのは、あなたは、ドロドロした重たさがどれほど深く,加圧するものなのかということを忘れ、それに関して本当に能天気なほど無邪気だったか理想主義的だったからです。あなたは降りて来る前に準備を整えていました。
けれどもあなた方一人ひとりが「そこは思いもかけないことがある」ということを知っていました。
なぜなら、それがここ(光の領域)にある何と似ているのかを本当に知る方法がなかったからです。
これは、それまでにされたことのないことだったのです。

そして今、あなた方は内側でつながっています。
あなた方はお互いにハート同士,魂同士でつながっています。
あなた方が真実を生きることによって、あなた方はお互いを照らしあいます。
そうしてあなた方が、深みからより軽やかな波動へと高まるにつれ、光はどんどんと明るく輝いていきます。
あなた方がこの高まりを感じ,具現化することができるよう、私たちはこれを今、あなた方にお話しているのです。
そうなればあなた方には、満ちたご自分という者の内側で…
ご自分の多次元的なセルフの内側で…知ることができるようになります。
あなたの旅は素晴らしく成功してきていて、あなたは今、光に目覚める経験をしているところだということを…。
あなた方の魂が経験してきた転生すべては、受諾と出現というひとつの素晴らしいタペストリーです。
本当にあなた方は、時々の関与を通じてドロドロとした重たさを経験し、
そうすることによってあなた方は絶望の結び目をほどき、受容と降伏を経ての赦しでそのタペストリーを織り直してきたのです。
あなた方の直接的な関与を通してあなた方はそのドロドロとした重たさをご自分中に動かさせて
それを愛へと変容させてきているのです。

この言葉を読んでいるあなた方一人ひとりが、光のマントと光輝の冠を身に着けています。
この光を体現してください。
あなたはまもなく旅の終りに着くことになるということを…
それはあなたが愛の光の領域に顕れる時だということを…知っておいてください。
あなたがここでしてきたこと〜それはとても美しいものです。
そしてその物語は終わってはいません。
あなたを迎え入れるために宇宙が開くことで、あなたの魂の愛と光に沿った旅〜
次にあなたがする旅の経路は続いていきますし、そこには常に選択があります。

喜んでください!
償還は手元にあります!
光は高まっていて、あなたをホームへと運んでいます。

私たちは光の領域から来ている観測者たち〜ギャラクティック・カウンシルの天使の次元の者たちです。
旅が展開し続けていくことで、さらにたくさんのことがあります。
私たちの愛を感じてください。
あなたがご自分のトゥルーセルフに目覚め,ご自分の素晴らしいミッションが成し遂げられているのを知ることによって、この輝きであなたのハートが光り輝くのを感じてください。

[
このメッセージにはサウンドトラックがあります。〜「愛こそはすべて(All You Need is Love)」 
今日の闇から光への冬至の日、私たちは私たちが高まることでこの輝きを増幅させて、
そうして私たちに光をもたらします。 ]

私たちはギャラクティック・カウンシルを囲んでいる天使たちです。
私たちは人類を見てきて、祈ってきました。
地球に来た光の存在たちのために…。
私たちは、決してあなた方を置き去りにしないと約束しました。
そのために私たちは、あなた方がそれを内側から変えるために
自らをドロドロとした重たさの中に浸すべく闇の深みへと飛びこんだため、
あなたがご自分の内側で愛のスパークを生きたままにさせ続けるように
アシストをするためにその輝きを保ってきました。
それがそれを変容させるための…人類を目覚めさせるための…唯一の方法だったからです。
あなた方には、「貴方は恐れではなく愛を体現しているのだから闇はもはやあなたに対して何の支配力もない」ということが
わかるようになってきています。

恐れがやってきても、ご自分がもはやそれに反応していないことに…
恐れが以前のようにあなたにひっかかって、あなたを沈めることなどできないということに…
あなたは今になっても気づいていませんか? 
恐れを観察していれば…そしてそれがリアルなものではないということがわかれば…
恐れはあなたとつながることができるところなどどこにもない霧のようなものでしかありえません。
あなたには愛を選ぶか,恐れを選ぶかの選択権があります。
けれども愛・光があなたの内側で飛躍的に高まっていれば、恐れには取りつく島がどこにもなくなるのです。
こうなるままにさせてください。内側で成長してください。ご自分自身に尋ねてみてください。
「私はまさに今、OKかな?」と…。
そうして、あなたがご自分自身に今という瞬間の贈り物をもたらすのです。
そこで愛のビームを見いだしてください。
それで、ご自分が束縛をされていない自由の身であることがご自分でわかれば、
あなたの内側から笑いや陽気さが高まってくることでしょう。
そして、「あなた方皆が必要とするものはすべて愛である(All You Need is Love)…」という実感が高まることでしょう。

(聖愛)は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。
常に、あらゆる場所で真理を望む人ならば誰でもが自由にとることの出来るように、おかれていないものは全て真理とは別のものである。
何を美しいと思い愛するかには個人差がある。金を愛する守銭奴もいれば権力を愛するものもいる。
ヴェイユは享楽への愛を否定する。贅沢は高慢であり、己を高めようとすることである。
彼女の言う美や愛とはそのような対象への支配と逆の自己否定である。真に美しいものとはそれがそのままであってほしいものである。
それに何かを付け加えたり減らしたいとは思わない完全性、それが「なぜ」そのようにあるのかという説明を要せず、それがそのままで目的としてあるもの。「美は常に約束するけれど、決して何ものをも与えようとはしない。」という彼女の言葉はそのことを表している。
美は何かの手段とならず、それ自身しか与えない。人は美に面したとき、それを眺めそれ自身の内なる必然性を愛する。
そして必然性を愛するということは対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。
美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。
自分自身に中に在る美(聖愛)を知るには感じるには美(聖愛)とお付き合いする事です。1番よい関係は愛し合う事です。

貴方が愛してる方大好きな方はだれですか。
その方の名前を呼んで下さい。
今、愛してる方、大好きなを呼んだように貴方の信じる神仏の名前を呼んで下さい。
愛する人、大好きな人を呼ぶその心で神仏の御名を呼んで下さい。


永遠に神を愛し神を感じ気持ち良い生活をおくれない者たちが神を愛し神を感じて生きていける人達にそのようなってもらいたくないために往々として世界平和、友愛、博愛、聖書にこう書いているお経にあー書いていると言います。目の前にいる神にきずく事なく聖書から経典からキリスト様、お釈迦様が出て来ると思っているかのように聖書や経典と睨めっこし論議し神仏の心を知ろうとしていません。
気持ち良く生きようとしていません。ワインを飲んだ事の無い方が本を読んでワインの話している様に。ワイン飲めば色、香り、甘さ、酸味、味わい、今年のできが分かり楽しさ気持ち良さがあります。神を愛し神を感じ神と共に生き神のすばらしさを話して下さい。
神と共に生きあなた自身の聖書を作って下さい。あなた自身の経典を作って下さい。あなたの心の中に神の国を創り神の教会を建てて下さい。道場を建てて下さい。神えの信仰は神とあなたと一対一の関係です。だれもその関係に入る事はできません。
あなたが忘れている神を心から愛してる本来のあなたにきずいてもらう、きっかけを作るのが神の使いの仕事であり喜びであり神の愛です。本来のあなたを見失はせる堪え難き大きな誘惑者のわなにかからないようにして下さい。キリスト様お釈迦様のあなたのすばらしいさを知る教え気持ち良く生きる教えは神の心からあなたの心の中に直接とかれます。神様を愛する心を持ちたいとお祈りしたその瞬間から全ての出来事が神を心から愛している本来のあなたを知るための出来事になります。辛い時、悲しい時、思うようにならない時があると思います。それはあなたが神様と共に生きているからです。神様も辛い時、悲しい時、思うようにならない時があるのです。
共に生きているので共鳴・共振し合い同じになるのです。
マザーテレサは目の前で苦しんでいる人々を誰と感じ誰と思い接したのでしょう。なぜ危険な所にも行かれたのでしょう。
苦しんでいる人の心の中にキリストがいるからです。そこにキリストがいるからです。辛い時、楽しい時も神仏に感謝して下さい。
その様なあなたにもどれるのも神に愛がなければ戻れません。

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、神を愛する心がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも神を愛する心がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも
神を愛する心がなければ、わたしに何の益もない。


宇宙の全ては(意志意識・心・身・光・物質)共鳴・共振しお互いに揺すり揺すぶり合い意識し合い存在しています。
共鳴・共振できると言う事。今、あなたが生きていると言う事はあなたに全が内在しているから共鳴・共振でき生かされているのです。
光であなたが健康になるのはあなたの心身に同じ光があるので共鳴・共振し健康になり宇宙を感じるのです。
神と見つめ合ってるあなたを一人一人が神を感じて生きている世界を創造して下さい。宇宙の海に塩の人形あなたが溶け一つになるギリギリの最高に気持ち良い瞬間を感じて見て下さい。感じている時は感じていたと言う私(意志意識)は残しておいて下さい。


神仏の教えは神仏の心からき来てあなたの心に届き神仏を愛する心で行う行為をする人の所に留まります。
神仏と愛で一つに成る教えは気持ち良く生きる教えです。
永遠に忘れる事が出来ない最高の気持ち良い快感を感じる事の出来る教えです。
神仏を感じれば心奪われて神仏から心が離れなくなります。
神仏の心を感じれば心みたされ心が穏やかで幸せで喜びの生活を送る事かできます。
神仏の心を感じれば何時も何処に居てもどの様な心でいれば良いかが分かります。
神仏のこころを感じてはじめて神仏の素晴しさや教えが解るのです。
貴方が不調和のエネルギーに影響しない貴方になって行く事で神仏の素晴しさが貴方の素晴らしさ隣人の素晴らしさがわかって行きます。
好きになり共に暮らし同じ目標を持ち共に生きお互いの素晴しさを知る。神との生き方も人との生き方も同じです。

メッセージを読まれた方々へ
貴方は変遷(へんせん)の中で他人を助け又、自分自身を救う時期に入っています。
貴方の信じる神仏をこころをつくし魂をつくして愛して下さい。
貴方が今、生きて居る所で神仏と共に気持ち良く生きるてください。

心の世界でも物質の世界でも神と貴方だけが存在しています。ほかに存在しているものはありません。
大きな光り包まれた時にわかりかす。神とあなた以外に存在している者があるか神のほかに感じる者があるかを。
そしていずれ二つが溶け合い一つになります。塩の人形が海に入って溶け海と一つになるように。

オーム聖音
物質の世界、こころの世界、あまねく天界に
すべてに満ち満ちるすべてなる存在に身を任せ受け入れます
すべてなるものの真理とその大いなる光に繋がり
その光がわれわれに降り注がれ
究極の真理、本当の自分に目覚めることができますように。

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